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ぼくとヘルシンキ

この夏もフィンランド、ヘルシンキに行ってきたので、ちょっとここにまとめようかなあ、と思います。

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実は、フィンランドのヘルシンキに旅行するのは、もう7回目。


ほんと、なんでこんなに好きなんでしょうね笑。


ちょっと考えてみることに。


まずは、単純に気候が心地いいです。


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7月、8月の日本は、なかなかの酷暑で外に出歩くのも躊躇してしまいますが、ヘルシンキは、暑くても25℃を超えるぐらいなので、晴れていると、外に出かけたくなります。

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そして、“美しさ”みたいなものが価値基準にちゃんといるような雰囲気がいいなあ、と。


どこかで聞いたのですが(嘘かもしれないけど)、日本の公園は「道徳心」できれいになっているが、北欧の公園は「美意識」できれいになっている、と。


つまり、公園にゴミが落ちているのは、不道徳ではなく、この公園にゴミがあることが似つかわしくないから捨てるという意識がある、らしいです。


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確かに、そんな感じはある。汚いところは、全然汚いのだけど、きれいなほうがデザイン的にまとまる場所は、きれいなところが多い感じがしました。

だからか、町なかにアート施設や、美しい造形の場所も多い気がします。


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そして、生活するにあたって、スーパーなどが充実していたり、セルフレジがあったりと、旅行者が買い物するハードルが低いような感じもありました。



そして、何度も来てしまうのは、やはり “人” なんだと思います。



写真家の幡野 広志さんが同じ時期にヘルシンキに来ていたようなのですが、こんなことをXで呟いていました。


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これにはぼくもとても同意で、だけどサウナだけじゃなく、町の人々からもそのような雰囲気をたくさん感じました。


“ゆるい”と表現されているのですがどちらかというと、

“「こうあるべき」が少ない”という印象。


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日本では、他人に対しても、「こうあるべき」が土台にある文化な気がしています。


それは、先に述べたような道徳心を生んでいる良さでもあるのですが、SNSが発達している今の時代には、決して良い側面だけではなくなっている感じもあります。


ぼくが生活したヘルシンキでは、そのような「べき」を他人に押し付けない心地よさがありました。


正しさがないのではなく、個々人の正しさは感じるけれども、それを必要以上に他人に押し付けない雰囲気。

どことない部分にでる所作の美しさや、それぞれの人々が好き好きにファッションを楽しんでいる様子からも、それは感じます。


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ぼくのように、海外からきて、短い滞在をする身からすると、その良い意味で独立した雰囲気が、とても心地よいのです。

あと、古くから、ムーミンやマリメッコなど、日本でフィンランドのアイコンが好まれている事実も、人々が好意的な要素の一つかもしれません。


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もちろん、きれいな部分しか見えていないのかもしれません。

土着すると見えてくるものもあると思う。


でもやはり、何度きても感じる心地よさ、何度来ても発見のある奥深さは確かにあるように思います。


では、ここで、このヘルシンキ生活で撮った写真たちをもうすこし。


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ひとまず、今年のヘルシンキの記録は、ここでおしまい。

また思い出したときに、ふと書くかもだけど


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